認定看護師としての新たな挑戦 —— 熊本から東京へ、そして見つけた自分の看護のカタチ
PROFILE

緒方 茜
セントケアDX訪問介護ステーション富士見台 緩和ケア認定看護師
ご出身が熊本とのことですが、看護師としてのキャリアは、どのように始まったのでしょうか?
はい。熊本出身で、学生時代は一度県外に出ていたんですけど、“やっぱり熊本に戻ろう”と思って、卒業してからは地元の大学病院で働き始めました。ただ、1年ほどで退職することになり…。その後、療養型の病院で2年勤務し、異動があり緩和ケア病棟で5年間勤務しました。
緩和ケア認定看護師の資格をお持ちですが、緩和ケアに興味を持たれたきっかけは何だったのでしょう?
いちばん大きかったのは、緩和ケア病棟時代に感じた“無力感”でしたね。
コロナ禍で面会が制限されていた時期、患者さんとご家族が最後に会うのが、本当に最期の瞬間になってしまうことが多くて。
ご家族は『穏やかに旅立ててよかった』と言ってくださるけど、実は本人はその前にすごく苦しい時間を過ごしていた…そういった場面が多くて、それを伝えられない、見せられないという現実がつらくて仕方がなかったんです。
その後、緩和ケア認定看護師の道を選ばれたんですね

はい。上司からも認定看護師の取得について声をかけていただいていたのと、自分自身、もっと勉強すればこの無力感が少しでも解消されるのではないかという思いがありました。
緩和ケア認定看護師の養成課程は、教育機関に入学し、カリキュラムを受けるのですが、当時コロナ禍で全てオンライン。入学式から卒業式、授業もZoomで。学生同士の交流もなく、ひたすら画面に向かって講義を受けていました。レポートや試験もあり、ほとんど休みはなくて、“看護学生時代に戻った”みたいな感じで、本当に大変でしたね。
認定を取得した後は、どのようにキャリアを進めたのでしょう?
本当は、資格取得を支援してくれた病院に戻って貢献するのが筋だったと思うんです。
でも、学びを深めたからこそ“このまま病院にいていいのか”という葛藤もありました。例えば、夜勤中にお看取り対応をした時、一人でエンゼルケアをしながら、他の患者さんも同時に見なければならなかった。患者さんは立ち上がろうとする。
でも、私は“すみません、座ってください”と言いながらエンゼルケアをして…。あれが本当に心苦しかった。
最期の時間をもっと丁寧に迎えてほしかったのに、現場の人手不足やシステムの限界で、それが叶えられないんです。
私がやりたい“緩和ケア”とはどこか違ってしまい、多分、周囲には私の苦しさを完全に理解できる人はいなかったと思います。それで、病院を辞めることに決めました。
その後、東京に出られた時にセントケアと出会ったのですね

そうなんです。熊本には7年いたんですけど、“もっと知らない世界を見たい”と思って。最初、福岡も考えたんですが、東京の方が知り合いも多くて、勢いで東京へ(笑)。
また、看護師の友人の中で、“看護師が楽しい”と言っていた人が2人いたんですが、2人ともセントケアで働いていたんです。
9割の看護師が“辞めたい”と言っている中で、“楽しい!”と言える職場ってすごいなと。
そこからセントケアについて調べていくうちに、訪問看護にたどりつき、『あ、ここだ!』って。
看護師としての原点と、これからの働き方が結びついたのですね
そうかもしれません。“この人の人生にどう寄り添うか”を考えるのが、私にとっての看護です。緩和ケアを通して、それがよりはっきりしましたし、これからも、そういう看護をしていきたいなと思っています。
また、訪問看護をまだまだ知らない方が多い印象なので、訪問看護がもっと広がれば、終末期の時間をご自宅で過ごせる方が増え、ご家族との時間が増えたり、また病院側の病床管理や人手不足といった課題の緩和にもつながる可能性があるのではと感じています。
今後の目標を教えてください
緩和ケアは、”治す医療”とは異なりますが、患者さんやご家族にとっては人生の大切な時間をどう過ごすかを支える、かけがえのない医療です。
看護師として、そして認定看護師として、痛みや不安を少しでも和らげ、その人らしい生き方ができるようサポートすることが、私の使命だと思っています。
これからも、患者さんやご家族の声に耳を傾け、医師や多職種と連携しながら、「希望を支える看護」を実践していきたいです。そして、後輩の育成や認定看護師の活動領域の拡大にも貢献できればと考えています。